研究者が「何とかして源氏物語を面白いと思ってもらおう」と思って書いたと思われる本。

源氏が当時の人々にとって大変リアリティのある物語だったことを話題の中心に、たくさんの平安人や平安文学に言及しながら短いエッセイがつづられる。文章を軽いめにしようとしてぎこちない。

中宮定子に少々入れ込み、やや感情的になっているところが行間から伝わるのが面白い。桐壺更衣のモデルは彼女なのだそうだ。

井上靖の短編集。信長が若かったころから千利休が切腹するまでの30年間を11編でつなぐ。

11編の主人公11人は敵になり、味方になり、家族になりながら1冊を紡ぐ。1つの短編にはまってあっという間に読み終わり、次の短編に行くとさっきの主人公が敵になっている。でも、また今の主人公に引き込まれる。

11編すべて1950年代に書かれているが、文章が全然古びていない。切れば水の滴るリンゴのようにぱきっとした読み心地だった。

永井道子の古い小説。源頼朝をめぐる4人を主人公とする4本の短編が輪のようにつながる。

言葉遣いが古くないのに感心。クールな書きぶりなのに、それぞれの主人公たちに引き込まれる。

おとといは東京大雪。

結婚12年目。子供のいない夫婦の話。

夫の周りには「膜」があって、会話が通じない。言葉で夫と向き合いたい妻は、それが「ただしいこと」と思っているけど、あきらめと無力感が募り、泣く代わりに笑う。

クリスマスのたびに夫から贈られる、お菓子の入った赤いブーツを、陳腐すぎると思いつつ捨てられず、12個めを押し入れにしまい込む。

二人は同じ孤独の中でつながっている。でも、言葉が通じないままで一緒に生きていくのは相当の「修行」が必要と思う。

小学館文庫のマンガ古典文学シリーズ

手際よくまとまったストーリーの中で、紫の上の深い深い苦悩が繰り返し描かれる。「女ほど自由がなく悲しいものはない。」と1ページ全面使った描写、死の間際の場面で明石から娘を奪った罪と娘に救われた気持ちを語る描写が、石に刻むほどの強さで描かれる。

これは紫の物語。

ほかの登場人物はうすい。

森田正馬の生い立ちと森田療法の成立、森田療法を象徴するキーワード、治療の事例、と森田療法の教科書みたいな本。わかりやすいが味が薄い気もしながら読む。

「悩む人は気分本位の人です」と切り込まれ、気分と行動を分けることを勧める、というあたりに思わず赤い線を引く。不安のまま、生活世界に踏み込み、それを持ちこたえながら、そこでできることは何か、を経験できるように、治療者は助言すると。

そして、日記療法が大切であること。しかし、日記を特定の誰かと共有することは恥ずかしい。

勧められて読んでみた

不安は自分の心にとって異物ではない。生への欲望がある限り不安はある。

不安をなくそうとして現実から逃避すれば、ますます不安にとらわれ、不安にとらわれたまま生きていくことになる。

不安をあるがままに自分の人生でやりたいことをする。そのうちに不安にとらわれずに生きていける。

そんなに前向きに生きていけないと思うけど、不安も自分、というのは良いと思った。

久しぶりに電車を乗り越すほどはまって読んだ。小川洋子の長編

その島では、美しいもの、優しいものが一つずつ「消滅」していく。リボン、エメラルド、ハーモニカ、オルゴール、そして鳥、春、小説。消滅したものをたいていの住民が忘れてしまう。忘れることのできない住民は秘密警察に狩られていく。

初め、より少ない物とより少ない感情で生きることは、とても静かで心安らかなことに思えた。しかし、消滅のたびに主人公の気持ちは追い詰められ、消滅を免れた食料品や燃料も乏しくなる。

最後に左足、右手、頬、体が消滅する。

でも「私」は「私」

江國香織の最近の単行本。
女子高時代の同級生2人を中心に、親子、姉妹、夫婦、恋人、3世代の女と男の「日常」
事件は何も起こらない。結婚とか死とか不倫とか別れとか描かれているけどテーマじゃない。
問題は、そのことに対する、登場人物たちの考え方と言動。別に突飛なことも言っていないけど、でも、自分で納得できることしか言うことも行動することもできない。
そのせいで、偏屈だったり、俗物だったり、幼稚だったり、誰かをひどく傷つける人々。

スマホいじりにも飽きてきたところへ、久しぶりに吉川英治を読んだら大はまりする。
黒田官兵衛、親鸞、上杉謙信。合計5冊を一気に読んだ。

歴史の流れとか、逆境とか、いままで自覚していなかったことが、近頃うっすら見えてきて、強さとか気高さとか潔さとかが、自分にも少しは身についてほしいと思い、身につけようと思った。

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