展覧会


三井記念美術館にて。端正な顔と豪華な衣装、立派なお道具。女性が生まれたお祝いに誂えてもらって、お嫁に持っていって、娘に受け継がれて、何百年を過ごしてきた人形たち。小さな持ち物まで丁寧に保存され、漆はぴかぴかに光る。

暗い美術館が春の日和に包まれる。

最近かご作りに飽きて、読書もつまらない。このまま家でボーとしていたらバカになる、と思って、気になる展覧会には面倒がらずに行こうと思う。

正月の東博で見た朝鮮半島の焼き物が心に残り、根津美術館の朝鮮陶磁展へ。どっしりした質感と素朴と洗練の複合体。青磁も白磁も染付も、なめらかな肌にもシンプルも、味わい深い絵付も、何を見ても微笑みがこぼれてくる。たった1部屋の展示室を何周もした。

帰りは赤坂見附まで散歩して夕方はリハビリ。

住友家の漆器コレクション。何十人前で一そろいの豪華な会席膳やら青光りする螺鈿の茶箱やら豪華絢爛。これが使われた邸宅はどんなだったのだろうか、お膳使った後の手入れとか女中さんがやってたのだろうか、と想像が膨らむ。

天気が良かったので麻布台ヒルズ通り抜けて神谷町まで散歩。リハビリで右手を曲げ伸ばししながら歩いた。

手を使ってやることができないので、やたら散歩している。

昨日は東博。目玉の松林図屏風を見て、「この人はやはり天才だ」と感心。

閉館間際、東洋館に滑り込む。呉昌碩を見に行く途中で朝鮮半島の磁器で足が止まる。優しく端正な染付。こんないいものが無造作に展示されてる。

展示のテーマはモノではなく民藝運動そのもの。それぞれのモノの美を見せるのではない。民藝という意識の発生、そして見出される美から作り出される美へ。

スリップウェアも紅型もこぎん刺しも好きだけど、運動はとっつきが悪い。

別室に騎龍観音がいて、単純に引き込まれる。

ずっと行きたいと思って思っていたのに、終了前日になってしまった。

真筆が一つも残っていない書家の大規模展覧会に何があるのかと思いつつ、意外に混んでいる。王羲之を見る、というより、中国書道史を見る企画。3千年の書の歴史は、王羲之の前と後に分かれる。

大きな展示室の中は、黒い文字の洪水。小さな子供が「怖い」と言って泣いていた。でも、たった2行の摸本が不思議に息をしていた。

 

 

やっと週末の時間ができて、夫は帰省して魚釣りしてるし、私は散歩がてら展覧会。

出光のコレクションから、宝石のように光る北宋の瓶、もち肌に触りたくなるような朝鮮の壺、ここまで来たか、と思わせる志野焼の水指。

お茶を飲みながら眺める皇居の風景が、この美術館の展示の一つ。

 

神泉の駅を降りて、川底みたいな道を歩く。大きな川みたいな道路を横断すると、お屋敷町の坂を上る。

上りきった突き当りに、美術館はある。今は初期伊万里の展示。重たげな柔かそうな地肌に、のびのびした染付。描いている職人がにこにこしてたのが分かる。

一番気に入ったのは、上から見ると桃の形になっている水指。薄暗い茶室に、こんな楽しいものが置かれていたらきっと幸せになる。

 

明治以来の陸軍医療の歴史資料を陳列。西南戦争の記録、森林太郎の「脚気論」、原爆の記録、元祖正露丸、第二次大戦中の怪しげなスタミナ薬。

病院の帰りの寄り道で堪能。

そして今日は、夫と出会って1年目の日だった。

最終日間際なのに意外に空いていた。

実際の茶事を想定した道具組の展示や、黒楽の「俊寛」と志野焼の「卯花墻」の対照的なたたずまいを並べて見せたり、疲れた最後に鳥の写生図を出てきたり、楽しく見終わった。

いつも美術館にくると興奮して疲れるけど、夫もそうらしい。

 

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