展示のテーマはモノではなく民藝運動そのもの。それぞれのモノの美を見せるのではない。民藝という意識の発生、そして見出される美から作り出される美へ。

スリップウェアも紅型もこぎん刺しも好きだけど、運動はとっつきが悪い。

別室に騎龍観音がいて、単純に引き込まれる。

永井道子の古い小説。源頼朝をめぐる4人を主人公とする4本の短編が輪のようにつながる。

言葉遣いが古くないのに感心。クールな書きぶりなのに、それぞれの主人公たちに引き込まれる。

おとといは東京大雪。

結婚12年目。子供のいない夫婦の話。

夫の周りには「膜」があって、会話が通じない。言葉で夫と向き合いたい妻は、それが「ただしいこと」と思っているけど、あきらめと無力感が募り、泣く代わりに笑う。

クリスマスのたびに夫から贈られる、お菓子の入った赤いブーツを、陳腐すぎると思いつつ捨てられず、12個めを押し入れにしまい込む。

二人は同じ孤独の中でつながっている。でも、言葉が通じないままで一緒に生きていくのは相当の「修行」が必要と思う。

たぶん5年ぶり。富士山はやっぱり大きい。

地元スーパーが閉店してドンキになって、コメダもできていた。変化はそれくらい。

だめ嫁ぶりを発揮したけど、でも行ってきたことは進歩と思うことにする。

小学館文庫のマンガ古典文学シリーズ

手際よくまとまったストーリーの中で、紫の上の深い深い苦悩が繰り返し描かれる。「女ほど自由がなく悲しいものはない。」と1ページ全面使った描写、死の間際の場面で明石から娘を奪った罪と娘に救われた気持ちを語る描写が、石に刻むほどの強さで描かれる。

これは紫の物語。

ほかの登場人物はうすい。

森田正馬の生い立ちと森田療法の成立、森田療法を象徴するキーワード、治療の事例、と森田療法の教科書みたいな本。わかりやすいが味が薄い気もしながら読む。

「悩む人は気分本位の人です」と切り込まれ、気分と行動を分けることを勧める、というあたりに思わず赤い線を引く。不安のまま、生活世界に踏み込み、それを持ちこたえながら、そこでできることは何か、を経験できるように、治療者は助言すると。

そして、日記療法が大切であること。しかし、日記を特定の誰かと共有することは恥ずかしい。

趣味というより暇つぶしで編んでいたエコクラフトのかごがたまって、会社で使ったり台所で玉ねぎ入れていたりしても使いきれないのでへたくそなのは捨てることにして大きなビニールに入れていたら、夫が拾って会社の女性たちに配っていた。

そしたら「取り合いになった」「母親にも上げたいといわれた」「お礼に高級食パンくれた」などと。同僚のお母様の友人用に追加の注文。

あんなものが欲しいとは、夫が社交辞令を真に受けたのか、と思ったけど、期待されているなら、と思いなおして追加を作る。

最近忘れていた「期待」、そして「応える」という気持ちを感じさせてくれた夫に感謝。

ひまにまかせて、紙紐のかごを編み続けている。これは六つ目の底から縦紐を差し込みながらふくらませて松葉で作った物事。持ち手は縦紐だったのを横に出して4本の丸編みして真ん中でつなぐ

花瓶を入れたら無造作にいけた花に似合っていた

勧められて読んでみた

不安は自分の心にとって異物ではない。生への欲望がある限り不安はある。

不安をなくそうとして現実から逃避すれば、ますます不安にとらわれ、不安にとらわれたまま生きていくことになる。

不安をあるがままに自分の人生でやりたいことをする。そのうちに不安にとらわれずに生きていける。

そんなに前向きに生きていけないと思うけど、不安も自分、というのは良いと思った。

最近はスイートピーがたくさん出てる

今あるのはムラサキに染めたのと濃いピンクの2種類